今日この一杯のために生きている

私が成人してから毎日必ず欠かさないこと、それは飲酒である。晴れの日も雨の日も、元気があろうがなかろうが毎晩必ず飲んでいる。だって飲まないと1日を終われない。
たとえ38℃の発熱があっても体がアルコールを受け付けるかどうかを試すようにとりあえず飲んでみる。もちろんそんな日はビール1本も受け付けないが。

今までのお酒の失敗も小さなものから、恥ずかしすぎて墓まで持って行きたいレベルの大きなものまで数えきれないほどして来たのに、まったく懲りることなく晩酌を続けている。その事を自分は根性があるなぁ無理のある解釈でポジティブに素知らぬ顔して飲んでいる。

夜の晩酌のためにどんなに暑くても午後からは水分を摂取しない。限界まで我慢しているため、夜には砂漠でオアシスの幻聴が見えてしまう人並みに喉はカラカラである。もちろん私にはそのオアシスは水ではなくビールだ。風呂上がりに、キンキンに冷えたビールのフタを開け、すっかり干からびた喉に流し込む。その時の体に染み渡る感覚ときたら何ものにも代えがたい。その日一番の幸福な表情をしていると思う。そして水を得た魚のように急に元気とやる気がみなぎってくる。このやる気を朝起きた瞬間に出せたらいいのにといつも思う。最初はビールで始まり次は焼酎の水割りに切り替え、ちびりちびりとやる。

毎日の事なので、なるべく酒代を浮かすため、安い4リットルの焼酎を飲んでいる。以前焼酎の買い出しの時、知人に見られてしまい、我が子のように大切そうに焼酎を抱えていたと後々指摘され、恥ずかしい思いをしたことがあった。そのため目立たぬように我が子(焼酎)をカートの下に横向きで置くか、上のカゴに入れるときは、上に小松菜やほうれん草などがさばる葉物で蓋をし、我が子の存在をカモフラージュする工夫を忘れない。レジでも、こちらテープでよろしいですか?と店員に聞かれると「いいと思います」などと、さも自分ではなく旦那の飲むものですよー的な雰囲気を装うのを忘れない。ちなみに私は独身である。

ひとり酒なので誰の目も気にする必要はない。あぐらをかいてビール缶の最後の一滴までエビぞりで煽ろうが、焼酎の水割りを作り箸でかき混ぜ、ついでにその箸を舐めようが咎める者は誰もいない。こんな幸せな事が他にあるだろうか?(山ほどある)

この至福の時のために今日も一日を生きる私であった

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