絶対良くないことは十分分かっているのに私が何十年もやめられない習慣。それは寝る前の飲食だ。
飲食というより爆食といっていい。最初はビールとつまみには枝豆。キュウリの浅漬けやもずく酢、まいたけの蒸し煮など、可愛らしい愛されお通しから始まり、ビールが酎ハイに変わりやがて焼酎になるころにメインディッシュのおでましである。ラスボスならぬラス飯は肉か揚げ物がほとんどだ。ハンバーグ、コロッケ、唐揚げ、メンチカツetc…
「それ5分後に寝る人が食べちゃいけないメニューだろ!」ともう一人の正しい自分の声が聞こえる。ファミレスのメインデッシュを寝る直前に食すのである。しかし背徳感というスパイスが上乗せされ、寝る前の爆食がますます美味しく感じる。この爆食が今の私の生きがいと言っても過言じゃないくらい楽しみの一つとなっている。
よくテレビの健康番組などで「寝る3時間前には食事を済ませましょう」とえらい先生が言うセリフも、都合の良いミュート機能で聞こえないふりをしている。
しかしさすがにこの生活で何もしないのはデブまっしぐらになるので運動も欠かさない。
毎日仕事終わりに公園や堤防をウォーキング、YouTubeを見ながらエクササイズ、あぁ今日もお酒を飲んで締めには春巻きを食べるのだ。そう想像すると喜びでニヤケ面が止まらない。ただ痩せたいだけというなら苦労したくないが、ビールと春巻きのためなら多少の苦労も惜しまない。一見努力家に見えても動機はビールと肉と揚げ物をただ食べたいだけ、という食欲モンスターなのだ。
もともと食への執着はかなり強いほうだと思う。
バファリンの半分は優しさで出来ているが私の過半数は食欲で出来ている。それなのに20代の頃、度を越えているどころか病的なダイエットをしていた。どうしてあんなに痩せたい願望が強かったのか原因は覚えていない。
朝は味噌汁一杯と冷奴、お昼は三口サイズのミニおにぎり、夜はサラダのみという、ひたすら食べる行為を我慢し続けるという過酷で無知なダイエットをしていた。毎日続けても空腹に慣れる事はなく、我慢すればするほど食への渇望は強まるいっぽうだった。
いつしかその反動で夜に一気食いしてしまうようになった。そしてその後、猛烈な後悔に襲われ吐くという愚行を繰り返していた。あれが過食症なのかといまなら分かる。吐く前提で一気食いするようになってからは、よりスムーズに吐けるよう、水分を含んだ料理を意識して選んでいた。
吐いてすっきりするとまた空腹に襲われる。やがてダイエットと深酒の影響で、自分の意志とは無関係に寝ながら食べるという行為に走ってしまう。
朝起きて冷蔵庫を開けると、弁当用に入れようと思っていた前日の唐揚げがなくなっていた。冷蔵庫の中で意味もなく冷やされているカラの皿が、居心地悪そうにポツンと取り残されていた。また別の日は、魚肉ソーセージを食べた後の包装フィルムが流し台に散らばっていた。一瞬「ど、泥棒⁉」と思うも、金目なものに興味を持たない魚肉ソーセージ専門の泥棒などいる訳もなく、私はその時寝ぼけながら食べていることを自覚した。
またある時は、キッチンの三角コーナーの残飯を食べていたところで我に返った。朝起きたら、枕元に肉じゃがの鍋と箸が置いてあったこともある。飢えた無意識の自分の仕業であることは明らかだ。極めつけは冷蔵庫に入れてあった調理前のイワシを頭から丸かじりしたことだ。口いっぱいに広がる生臭い血と内臓の味で一気に目が覚めた。魚を丸かじりするのは自分と野生動物くらいだとあ然とした。私には人間の尊厳すらないのだ。あの生臭さと虚しさは一生忘れない。
そんな生活を続けていたせいで体重は35キロ(身長は157㎝)になった。生理も止まった。子供も出来なかった。当時の夫も離れて行った。
皮肉な事に離婚して過食症は治り、あれから20年以上たった。今ではすっかり平均体重に落ち着き、お腹もいい具合に脂肪を蓄え膨らんでいる。太りたくないとは思うものの、この膨らんだお腹は幸せの象徴だ。当たり前だが食べたもので自分の体は作られている。私の一番の味方は私だ。ましてや基礎疾患もなく風邪一つ引かない健康体の私は幸せなのだ。まわりや職場の人間が全員コロナ罹患済みなのに、私だけかかったことがなく、化け物とささやかれているほど丈夫だ。
そんな健康でいてくれている私への恩返しに、もっと体に優しい生活を送らなければ。寝る前の爆食は全然優しくない。せめて揚げ物を減らし、肉と野菜中心のメニューを模索する日々なのであった。


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