誰にでもコンプレックスはある。もちろん私も例外ではない。自分の長所は一つあげるのも精一杯なのに、コンプレックスはすらすらと何個もあげる事ができる。履歴書の長所の欄など何も思いつかず、いつも困った果てに「協調性がある」などと無難な嘘を書いたものだ。人と自分を比べ、どうして自分はこうなんだろう、他人が羨ましいと何度も思った。隣の芝生は青く見えるとよく言うが、町内中、いや日本中の芝生が青く見えていた。それでも年齢を重ねるごとに、人は図太くなるものだ。受け入れたり開き直ったりしながら、少しずつコンプレックスは減って行く。しかし未だにどうしても嫌いな自分の部分がある。それは「手」である。表すのならば鬼の手のようだ。太い指は節くれ立ち、シワだらけで何本もの太い血管が目立つ武骨な手。今までも、そしてこれからも一生好きになれない嫌な醜い手。
初めて、私の「手」が人と違うと気付いたのは中学1年生の時だ。友人5、6人で遊んだ時にみんなで撮った集合写真。見ると私の隣の友人の肩に、幽霊のような不気味な手が写りこんでいた。心霊写真⁈と一瞬ギョッとしたが、それが友人の肩に乗せた自分の手だと知った。「私の手ってお化けみたいだ」とその時初めて思った。それからというもの、気付けば人の手を見るクセがついた。人と会ったらまず顔を見て、それから手を見た。大きく指の長い手、華奢で小さい手、しなやかな手、赤ちゃんのような幼い手、色んな手があったが、女で私のようなお化けの手は見たことがなかった。一人だけ私の手と似ている人にあった事がある。それは男性で、20年ほど前に少しだけ仲良くなった人だった。初めて彼の手を見た時、男のお化けの手も存在するんだとびっくりした。客観的にみてもやはりそれは醜かったし、親近感よりも嫌悪感を感じてしまった。私と同じ手で可哀想にと思った。
昔、何かの映画で「手は人の人生を表すのよ」と言った人がいた。ただの根拠のないセリフの一部分だったとしても、この言葉は非常にショックであった。私の人生がこの手のようなら「険しい山と岩だらけの、障害や困難にまみれた人生」を歩むのだろうか。少し誇張気味に妄想し、悲劇のヒロインになった私は未来を不安に思ったものだった。
52歳の今、この手のような人生を送って来たのかは分からない。普通の手でもお化けの手でも、壁と困難にぶつからない平坦な人生なんてあまりない気がする。
このお化けの手を私はどうしても好きになれない、でも違う目線から見ることで考えを変えつつある。醜くても、2本の使える手があるのは便利で幸せな事だと…


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